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Ogasawara Ikinokami海报封面图

Ogasawara Ikinokami

剧情
1932-06-15日本上映 / 107分钟
简介

本作は当初、仁科熊彦監督が撮るはずだったが、仁科監督が雲隠れしてしまい、やむなく山中貞雄が監督することとなった。監督デビュー作『磯の源太・抱寝の長脇差』、第二作『小判しぐれ』が興行的に振るわず、寛プロとしても注力した超大作だったが、山中としては自ら望んでの監督ではなく、乗り気ではなかった。 嵐寛寿郎もプロを挙げて大掛かりな宣伝を行い、「寛プロ全力投球」と称して主題歌の募集まで行った。しかし興行的には大失敗、初日の第一回で観客はわずか五人という惨敗で、あまりの不入りに上映を打ち切る館が続出。映画誌からも「失敗作」と酷評され、4日で興行打ち切りとなった。 アラカン自身は「作品の出来、これは最高に良かった、失敗作やとゆう人もおるが、興行価値は十分あるシャシンでした」、「結局むつかしいシャシンや。芸術大作やという印象でんな、つまり客が入らんように宣伝したんだ」と振り返っている。 当時の映画批評界は寛プロを「B級専門」としてその作品群を一段格下に見る傾向が強く、この映画も不当に冷遇された。次回作『右門捕物帖 三十番手柄 帯解け仏法』が大ヒットしたため、山中はすっかり自信をなくしてしまった。続く『天狗廻状』の脚本を書いてきて、「脚本料はいりません、やめさせて下さい」とアラカンに辞意を伝え、作品完成後寛プロを辞めている。 現在、52フィート(16メートル、上映時間35秒)のフィルム断片が東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されているのみで、全貌を鑑賞することの不可能な作品である。1986年(昭和61年)に刊行された『山中貞雄作品集 別巻』にシナリオが部分採録されている。

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